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 国分寺にまつわる実話・歴史・伝説・神話・文化・美しい風景を描いた町興しの歌が11曲あります。

夢の里の付近の状況は太古のロマンの武蔵野を描いている自然の美しい所です。この美しい風景に溶け込むように湧水が、お鷹の道にそって水の流れを作り水草も委ねるようにゆれている。

 春の優しい日差しをうけて小さな魚が水草に戯れるように泳いでいる光景が和やかで子供の頃が思い出され感動します。木々の間の若葉に優しい木漏れ日がさし、若々しい緑の葉が目に映り春の息吹を感じます。

お鷹の道に沿うように湧水が“ピチャピチャピチャ”と優しい音を奏で、流れの涼しさを感じると夏が来たと思われます。日がしずみあたりが暗くなると小川の上で“ピカピカ”青い光が飛び交い幻想的な自然の美しい営みを感じて来ます。

また秋には、木々の間に夕日が差し込み真赤に燃やす紅葉のコントラストが目に入り、どこかタイムスリップしたような世界で心身ともに感動を受け、心が燃えて来ます。晩秋の夕日を受けた紅の葉が“ヒラヒラ”舞い散る光景は淋しさに駆られ冬が近いと感じられます。

 冬になれば落葉の間から顔を出す霜の花に、厳しい寒さを忘れ感動的です。雪が降れば木々の枝に美しい純白な雪の花が咲き乱れる風景は、幻想的で冬もまた美しい世界を演出してくれます。

 

 国分寺の夢の里に是非一度足を運んで見て下さい。また一度散策に来られた方も、四季折々で変化する美しい風景を探し感動して頂きたいと思います。


夢の里

夢の里の付近の四季の作品

国分寺市観光協会推奨


姿見の池

実話・一部伝説・神話を含む作品で、国分寺の美しい女性が鎌倉幕府の要人畠山重忠氏が姿見の池を中心に村の人々が羨む恋の花を咲かせていましたが、ある日のこと源氏の榎朝公より畠山氏に(平家)義経を討てとの命を受け出陣する時美しい女性が、“私も連れて行って”と頼みましたが重忠は必ず貴女の元に帰って来ると慰め出陣しました。

この女性を好きでたまらない他の男が畠山は戦死したと嘘をつき自分のものにしようとしましたが、女性は深く悲しみ星の美しい夜に姿見の池に・・・

戦が終わり、重忠が無事に戻り真実を知り深く悲しみました。

「姿見の池の淵に墓標(碑)代わりに松の木を植えて、この松が一葉松に」神話


一度来なされ国分寺

国分寺市の歴史・文化・伝説・神話・風景を歌にした。楽しい楽しい民謡の作品

−国分寺市観光協会推奨−         国分寺市観光協会会長より依頼された作品 


武蔵国分寺

太古の武蔵野を描き、又万葉植物を収集された故星野先生の心を忍ぶ歌の作品

 国分寺市観光協会会長より依頼された作品


武蔵野の森

国分寺(武蔵野)の自然の美しい森の社会福祉協議会のはたので、人と人との心のふれあいで安心して社会福祉の輪が広がる。

国分寺社会福祉協議会会長・局長から依頼された作品


国分寺青少年のサンバ

国分寺の歴史・文化・神話・伝説を、青少年に興味をもって学んでもらい、青少年の希望を失い挫折しそうになった時、国分寺の過去にも辛い事が沢山ありましたが、明日がある明日が来ると頑張って今日の国分寺があると言うことを知ってもらい、君達の人生にも、明日がある明日が来ると希望を定めて頑張って欲しい。

国分寺社会福祉協議会局長より依頼された作品


停車駅

汽笛を鳴らして煙をモクモク武蔵野の森の緑深い国分寺に始めて汽車が来る!村の人達はどのような夢と希望を胸に迎えたのか?現在は・・・


白明坂

新田軍が鎌倉幕府を滅ぼす為、国分寺の白明坂に結集して多摩川(分倍河原)に陣を構えている鎌倉軍に戦を仕掛けましたが、鎌倉軍も予期していたので20万人の兵を増強し新田軍を迎え撃ち。新田軍は戦に敗れ国分寺の神社仏閣を火の海にして逃げる時に必ず戻る武蔵の国へ・・・


鎌倉街道

鎌倉幕府が出来て、関東の武士が美しい海と山に囲まれた鎌倉幕府へと望みを持って鎌倉へと


我が町に

世の中の経済の変動があっても我が町の羅針盤が安全に導いてくれる商工会がある。


国分寺に由アルコイコイ 

 国分寺は、歴史・文化・神話・伝説・美しい自然があります。一度と言わず二度三度と来て下さい。


武蔵国分寺乱れ太鼓 

 鎌倉幕府の時代、武蔵国分寺は神社仏閣が立ち並び、静かな風光明媚で人々の信仰も厚く穏やかで豊かな暮らしをしていました。

突然、新田軍が鎌倉幕府を滅ぼす為に国分寺へと・・・当然慌しくなり村の人達も生活が追いこまれて行きました。多摩川(分倍河原)に陣を構えていた総勢30万人とも言われている鎌倉幕府軍に戦をいどみました。激しい戦いで新田軍は戦に敗れ、国分寺大門に逃げて来ました。鎌倉幕府軍も戦いの手をゆるめず国分寺に追って来て激しい戦いになりましたが、新田軍は大将が一本松に馬の手綱を巻きつけ神社仏閣に火を付けろと指揮をとりすべての建物に火を放ち逃げて行き馬上から必ずもどる武蔵の国へと声高らかと逃げて行いました。


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